転落する人生 一寸先は闇 なんでこうなった?必死に這い上がろうともがく日々

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退職
2015年11月03日 (火) | 編集 |
うつ病のリバウンドで更に
状態は悪化し

もう仕事が続けることが不可能になっていた

転職し会社の勤務条件だけは良かったのに・・・
ここまでか・・・


第一製造部リーダーO川に
退職したいことを伝えた

問題児がいなくなるのが嬉しいのか
二つ返事で

「分かった!そしたら総務にいって手続きするから!
じゃあ、ゆっくりしといてくれ」といって電話を切られた

ここまで、抗ってきたのに
最後は あっけなかったと思った

復帰から半年以上たっていたので
有給で5日間ほど休んでいたら
O川から電話がかかってきた

「何か仕事で問題でもあったのか?」と聞いてきた

何を今更?!

もう辞めるつもりだったので
「九州から来たW田さんとはやっていけない」と言った

すると、元のN杉さんの所へ戻ってもいいぞと、
話しが変わっていた
N杉もいいと言っていると

なんだ?
何か会社から言われたのか?!

だが、体調は悪化していて休職前より酷い状態に戻っている・・・
いきなりだったので瞬時の判断が出来なかった

「N杉さんに迷惑かけるので・・・」

と、言い終わるや否や

「そうだな!迷惑かける訳にはいかないな!
一応、言ったからな!」と
何とかかんとか言っていた

どうでもよかった・・・

私、自らが
本人の意思で、辞めることを確認したかったのだろう

そして、退職願いを書いて持ってくるように言われ
電話を切られた

有給を使い切り
退職願を持って会社へ行く

退職願は受理され
応接間で製造部門の部長とリーダーO川に
軽く挨拶した


製造部門の部長は、
「また、体調が良くなったら…」で、
慌てて「また」を取り消して、

「体調が良くなったら次の所でも頑張ってくれ」と言い直した

他の誰とも挨拶せず、
車に乗り帰った

N杉さんとT枝さんには挨拶しとけばなぁ良かったかなと
思いながら帰宅した


完全なる無職生活がこれから始まる

うつ病からの復帰編へ→
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やはり私はダメなヤツなのか?!
2015年09月06日 (日) | 編集 |
朝、とうとう会社には行けなくなってしまった

張りつめていた糸が切れた

完全に放心状態だ

全身の脱力感・・・

復職後、一日も休まずに勤務していたのに
約9ヶ月、必死に会社にしがみついていた・・・

第一製造部リーダーO川に電話をかけ
休みたい趣旨を伝えた
「また、休職か?!」

第一声がそれだった

「・・・体調不良です・・・」と伝えた

少し考える時間が欲しかった
1日休んで、心を落ち着かせた

そして、次の日も
どう考えても出勤して仕事が出来る状態に戻ることはなかった

次の日も体調不良として休んだ

「ダメだ・・・そんな簡単に働ける状態にまで戻すことは出来ない・・・」

完全に休職前より状態は悪化している感覚だった
より酷く うつ状態だ
一睡も出来ない
死にたい、死にたいが頭の中をぐるぐると回る
布団に沈み込んで抜け出れない・・・

悔しくて悔しくてしかたなかった

自分にも・・・

頑張って復帰しようとしているところで、
足を引っ張るヤツにも・・・

また休職か…
頭をよぎる

いや・・・退職か?!
初めて「退職」も考えた

せっかくの正社員なのに・・・

印刷会社(正社員)でデザインの仕事より
給料の面や会社の待遇面だけでいうと
すべて割に良かった

年齢も35歳の年だ・・・
次の転職先があるのか?!

悩みに悩み抜いた
家族、恋人のHにも相談した

そして・・・


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うつ病のリバウンド
2015年09月03日 (木) | 編集 |
薬を飲みながらの復職だったが、
N杉さんとのペアで精神的に不安定になることが
少ない状況で仕事をしていた

そんな時、色んな事情で1号機の機長の見習いとして
九州から出向してきたW田とペアで仕事をすることになって
一ヶ月が経とうとしていた頃

もう精神的に限界が来ていた

1号機と2号機は仕事が忙しく
5勤2休で12時間の二交代だ
4号機では4勤2休でなんとか乗り切っていたのだが
この1日多い出勤が非常に体力面でも辛くなってきていた

1号機の機長と補助役の仕事と内容を
同時進行で一から覚えなければならない状況だ

しかもW田のおっさんとだ
この自称九州男児のW田
全然男らしくもないくせに
偉そうに男気があるように振舞っている

電話で事務所に仕事の確認もできない(仕事だろ?!)
電話は苦手らしい・・・
体はデカイくせに
気が小さい

弱いものには強く、強いものには弱いを
見事に絵に描いたような男だ

器が小さすぎるだろ?!


第一製造部リーダーO川から
機長に出世だともっともらしい言い方で
半ば強引に機長見習いになった(単純に人がいなくなったからだろ?)

それでも、頑張れば本当に機長になれるのだろう
これはチャンスでもあるのは分かっていたが・・・

職場環境の激変で、一気に体調が悪くなった
やはり完全には治っていなかったのだ
薬の量は、更に増やしもらったていた

薬でテンションだけハイになっていて
疲れているはずなのに、それも分からない状態で仕事をしていた

とにかくうつ病関係の薬と痛み止めや栄養ドリンクなんか飲み続け仕事に行く毎日

このままでは長くは持たないのは自分でも感じていた

W田の圧迫感がある対応(W田は私が休職していたことを知らない)


ある夜勤の日、張り詰めていた糸が切れた

やっと仕事が終わり、後片付けと掃除をしようとしていた時
W田が「もっと、力入れて早く仕事しろ!」

「はぁ?!」

W田は昼勤の時は掃除などもするが
夜勤の時は偉いさんや上司がいないので
まったくしないクズなやつだ

なんか、もう・・・どうでもよくなった・・・

仕事中に物に当たったりしているヤツは
完全に下に見下していた

そんな私が
掃除で集めた製品のゴミを
ゴミかごに投げつけるように叩き入れた

ガシャーンっと鳴り響いた

その様子を見ていた数人と、
W田が振り返った

やるのか?!といった表情でW田が睨みつけてきた

こっちもどうでもよかったので
W田を睨みながら向かっていった

相手から手を出して来たら
やってやろうと思いながら・・・

まさに一触即発

すると、いつもお調子者の2号機のT君が出てきて
「まぁ、まぁ、まぁ」と止めに入ってきた

「○○さん(私の名前)早くゴミ捨てに行きましょう」と

その場はなんとなく収まったのだが、

「完全に自分が壊れた」と思った

仕事で爪は剥がれ、手首は腱鞘炎
精神的にもふらふら

満身創痍だった

対人関係が上手く私には出来ないんだ・・・
何やってもダメなヤツだと
思う気持ちが止まらなくなった

ほんの一ケ月前までは、
仕事もしんどいけど、なんとかやれている
少しは楽しい気持ちにもなれていたはずなのに・・・

その日は、交代の時間になったら
次の交代の人達に挨拶して

そのまま、W田には何も言わずに帰った


次の日、倒れた・・・

うつ状態が休職前より酷くなっていた

まったく起きれなかった

死にたい気持ちでいっぱいだ


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上手くはいかない
2015年08月31日 (月) | 編集 |
復職後、N杉さんとペアで製造部の4号機を担当し、
順調に仕事に慣れてきて何とかやれそうな感じになってきてた頃に事件が起こった

1号機の機長と派遣のおじさんが喧嘩をしたのだ
無口だが1号機の機長も愛想が悪く、
ネチネチと文句を聞こえるように言うようなタイプだ

私は1週間のお試し期間の時に派遣のおじさんの手伝いをしていて
すごく機長に気を使って働いている感じがひしひしと伝わってきていた
おそらく我慢の限界だったんだと思う

現場の人達は派遣社員に対して、風当たりが強い人が
客観的にみても多く感じた

派遣のおじさんは1号機の機長の胸ぐらを掴んで
もみ合いになり、周りから止められ
そのまま帰ってしまったのだ

そして急遽、第一製造部のリーダーであるO川が
次の派遣社員が来るまで代理で現場に入ることになった

しかも立て続けに1号機の(朝勤、夜勤の2部隊ある)
もう一人の機長である方が
体調不良でしばらく入院することになった

更に現場で作業していた
第一製造部のリーダーO川が
仕事で怪我をしてしまい現場作業が出来ない状態になった

当然、人が足りなくなった
そこで、子会社である九州工場から
一時的に出向という形で
九州からW田さんという人が応援で来ることになった

嫌な予感は的中した

私は1号機の見習い機長を担当することになった
やっと4号機の補佐が出来るようになった矢先だ

そして、N杉さんとのペアは解消となり、
その九州からくるW田さんとペアで仕事をすることになった

W田さんも1号機の事は何も分からない状態だ
どうやっていくんだ?!

仕事のことも問題ではあるが、
このW田さんという人物が曲者である

やってくるなり、態度がでかい
W田はいかにも九州男児という感じ(自ら言っていた)
私はこういうタイプはかなり苦手である

このW田のおっさんとペアで
1号機の仕事が始まることになった

そして薬の量が増えていくことになる・・・


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生き方
2015年08月23日 (日) | 編集 |
ある日の昼勤務の時
食堂でN杉さんとお昼ご飯を食べに食堂へ行った

たまたま総務部長のU宮さんと会った
最近は体調が悪く休みがちになっていたので、
久しぶりだ

「○○君(私の名前)仕事に慣れてきてよかったなぁ。頑張っているんだな」と言ってくれた
「はい・・そうですね」

U宮さんは、抗がん剤治療で髪は抜けてしまい
さらに顔は青白く覇気がなく
いまにも倒れそうだ

人の心配をしている状態ではないはず・・・

そして私に、
認可されていない抗がん剤はお金がかかるけど、
使ってもらおうかなぁと考えているという話や
自分が亡くなってしまった後のことなどを
奥さんには伝えていると言った

奥さんからは癌がよくなると言われている
食べ物をお弁当に入れてもらっている話をしながら食事をとった

誰が見ても明らかに
体調や体が普通じゃないのは分かるのだが、
この時も まだ誰にも癌であることを
工場長と私だけにしか言っていないと言っていた

そして、食べている途中で、倒れこんでしまい
ポカリスエットを取ってきてもらえないかと頼まれた

総務部のU宮さんの席に取にいきポカリスエットを渡した
「ありがとう・・・」と言って薬とポカリスエットを飲んでいた
「こんな状態で仕事はムリですよ・・・」と心の中で言った


仕事に戻り、N杉さんが、
さっきのU宮さんのことを
「U宮さん、どうしたんですかね?まだ体調悪いなら休んでいた方がいいのにね」と

私は考えた・・・
「これは、U宮さんから誰にも言わないでくれと言われているんですけど、
末期癌なんですよ・・・」とN杉さんだけには教えた

N杉さんは少し驚いた表情になった
「・・・そうなんだ、それなら家族と一緒に過ごす時間を取ればいいのに・・・、
面倒見がいい人だから気を使い過ぎだよ・・・」

U宮さんは最後まで仕事をしている方を選んだ
子供には仕事に行っている父親だと
安心させたいと言っていた

そして家にいても奥さんはパート、子供は学校で
孤独になるからとも言っていた

隣の県からの通勤、気力だけで通っていたんじゃないのかと思う

そして、1週間もしないうちにU宮さんは亡くなった
あの時の食堂での会話が最後になってしまった・・・

U宮さんの「うつ病でも生きていられるのは羨ましい」という
言葉を思い出した

うつ病でも生きて家族や恋人と過ごせるだけでも幸せなんだと改めて思い知った

そして、仕事を頑張っていこうと思った矢先、
1号機の機長と派遣さんのトラブルが起こったのだ・・・


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